父親が癌になって4年目、ターミナル期、看取りという現実に直面している現在。人間にとって死の真実(生の真実)というものを深い霧の中手探りで探し始めた近年である。長年思いを巡らせていた、人々が地上の果てと呼ぶ場所へ。ついにこの地へ来てしまった。
14 年ほど前に、ある大切な友人が自らのバイブルでもあるという一冊の本を見せてくれた。イギリス・ミドルセックス州出身の映画監督、舞台デザイナー、作家、 園芸家、デレク・ジャーマン(1994年HIVで死去)がその死の間際まで愛し手入れをとしていた庭について写真と彼の文章で構成された美しい本だった。
『プロスペクトコテージ』イギリス、ケント州のダンジェネスという荒涼とし寂れた漁村にある原子力発電所危険区域に建つ家である。冬場や雨の日は、おそろしく淋しい場所なのだろう。地上の果て。はっとするほど美しいのに悲しみに覆われているような透明感のある不思議な場所。死と生の生態系が渦巻いているようで、とても穏やかで静かなのに言葉にできないほど土地や空気に迫力があり、何か大きな計り知れないものが迫ってくるような気さえした。
海辺を散歩して拾ってきた石を並べたり、草花を見つけては植え、晩年の7年間を過ごしたデレク。南面の壁一面に装飾されたジョン・ダンの詩。乾いた海風に揺れる洗濯物と蜃気楼のように浮かぶ原子力発電所。
地上の果て。どこか遠い外国の美しい芸術家の家と庭。デレク・ジャーマンの本を見てから私の頭の中にあったその地の光景は決して現実的なものではなかった。
今回プロスペクトコテージに行く事を計画してからも「夢が現実として目の前に現れる」ことへの興奮と同時に見なければ良かったということもありうるのでわずかに恐怖も感じていた。その土地その家は全く一寸の期待をも裏切ることがなく想像以上の美しい姿でそこに佇んでいた。
ここは彼岸なのかもしれない・・・。
人によって大切にしているものは違う。人それぞれ生き方も違えば死に様も違う。自分があたりまえだと思っていることが一緒な人と言葉や感覚で伝え合うことを大切にして人生を過ごしたい。筋を通すことと愛を与え合うことを大切にして生きていきたい。くだらないことで笑い合える友人が側に居て欲しい。心が切なくなる程の愛らしいものに触れていたい。デレク・ジャーマンという人は自分の同類を見つけ出して、あたりまえなことが一緒の人達とできるだけ多くの時間を過ごし、心地よい生活を大切にしていたのではないかと思う。死に行くまでの7年間プロスペクトコテージで彼は幸福だったのではないか?あの庭を見た今そう思う。人生の最期まで創造し続けるアーティストだったのだから。
「水平線が庭の境界だ」と言ったデレク。プロスペクトコテージ、そこにはただひたすら自由がある。この瞬間も灰色の病院の小さなベッドに横たわっているであろう痩せ細った父の姿を思った。
デレクジャーマンの庭についてWeb Magazine OPNERSにchocolatpapaこと写真家の松永学さんの写真が掲載されています。心を打つ美しく力強い数々の写真、必見です。
http://openers.jp/culture/matsunaga_manabu/derek_jarman.html
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