6月に入り、東京は梅雨を迎えた。
つゆ。
ばいう。
なぜ、梅の雨と書くのだろう。
梅の季節でもないのに。
なぜ、雨季と呼ばないのだろう。
外国の雨の季節のことは雨季と呼ぶのに。
「ハワイの雨季は11月からです」
つゆ、という呼び名を、きれいだなぁ、と思う。
つゆいり。
少し甘い、透明の和菓子のようだ、と思う。
ふるふると揺れる、雨の滴を集めて作った、甘いもの。
東京は今、つゆである。
初夏の陽射しと、鼠色の雲と、降り止まぬ細かい雨が、決められた順番も無くやって来る。
朝、家を出る時には足元から立ち昇る熱気と、肩を射す太陽の光に目を細め、
夕刻から降ると天気予報で言われていた雨の為に用意して出た傘や、
重たい雨靴に冴えない気分になりながら電車に乗る。
けれど、夜、家路に就く頃にはちゃんとその両方が役に立つ。
面倒な季節である。
母が通う病院の敷地内に、
ご近所のお寺の庭に、
散歩道の塀沿いに、
懐かしい門の脇に、
裏の団地の中庭に、
バス停への行き帰りに、
友と歩く道に、
気に入りの小さな川に掛かる橋の袂に、
今を彩る美しい花につい足を止めてしまう。
紫陽花。
あじさい。
しようか。
八仙花。
雨に濡れるといっそう美しく映ることを知っている花。
数年前の季節は今頃であった。
フランスを旅した折りに、有名な寺院のひとつを訪れ、
その門の前の小さな広場に堂々と艶やかに咲き乱れる紫陽花に、日本で見るのとは違う感覚を覚えた。
日本で見ている時は、そのひた向きさのようなものを美しいと思っていたのだが。
灰色の背景の前に在ってこそ美しい、と。
パリのロダンの庭に在る白い紫陽花の小道に一目惚れをした。
優しく、愛しいものを思い出させる、歩いていると消えてしまいそうなほど切なくなる、
あの美しい小道を懐かしく想う。
友の話。
あの花の塊、あんまり好きではないのよね。
でも、色が少しずつ変わって行くのが好き。
山紫陽花はきれいね、ぽつんぽつんと咲いているのが。
額紫陽花のように真ん中の無い紫陽花をきれいだと思うようになったのは、
カメラを持ち、散歩に出掛けるようになってからである。
子供の頃は、途中の花、のように思っていた。
レンズの向こう側のその花は、丸くしっかりとした馴染みあるものとは違う美しさがあった。
咲いている途中。
友の話。
子供の頃は紫陽花が好きではなかった。
紫陽花は雨の季節に咲くもの、
紫陽花が咲くと外で遊べない、
雨を連れて来る花。
きれいな花だと思うようになったのは、大人になってから。
小さな友が、庭に出る窓から薄紫色の紫陽花の花と、雨を落とす空を眺めている様を想ってみる。
あぁ、そう言えば、子供の頃はそんな風に思っていたかも知れない。
この花が憂いでいるように見えてしまうのは、子供の頃の記憶に繋がっているからだろうか。
日々使う電車の線路の両側に紫陽花が続く。
ドアの傍に立ち、流れる花景色を眺める。
この沿線に住みたいと思った理由のひとつに、季節の花々を楽しめることがあった。
旅気分。
いつも、好きな人に逢いに行く時のように、胸がとくとくとなる。
夜の紫陽花。
バス停から家までの道。
ただいま、とにっこり挨拶をして前を通る。
今は使われていない古い建物の入口横に植えられているこの紫陽花、
取り壊しになっても残して貰えると良いのだが。
電車の中で、座席に座るわたしの前に立つ女子高生ふたりが花の名前の話をしている。
窓の外を指し、あの花なんて名前だっけ。
家の玄関の横にもあるんだよね。
この前、おばさんが鉢を持って来たんだけどさ。
良いよね。
良いよね。
そう言いながら、ふたりは電車を降りて行った。
あれは紫陽花です、と教えてあげたい衝動を抑えた。
今の若い人たちは、紫陽花という花の名前を知らないらしい。
幼稚園や小学校や中学校の先生たちやお母さんは、どうして花の名前を教えてあげないのだろう、と残念に思う。
花の名前ひとつ知るだけで、その季節が楽しみになったりするものなのだが。
家の近くを流れる玉川上水沿いの細い砂利道は、気に入りの散歩道。
今では本当に少なくなってしまったけれど、そしてそれは、良いことなのだろうと思うけれど、
砂利道の在る景色を懐かしく、あぁ、と立ち止まってしまう。
気が付いたら、不便だから便利な形に変われば良いのに、と思っていたものを、
昔のあれは良かった、と懐かしむ勝手が身に付いてしまった。
雨の中をてくてくと歩く。
梅雨を楽しむ方法を考えながら。
暑い夏を心待ちに。