船便で4箱、航空便で3箱。思いつく限りの必需品を詰め込み、慌ただしく入籍日の4日前にフランスへと旅立つことに。
その荷物の中には、市役所での宣誓式で着る白いマキシ丈、新しいパールのネックレスとピアス、「サムシング4」を実践すべく母が父にもらったエンゲージリング、姉とお揃いのブルーの手づくりブレスレットを詰め込んだ。嫁入りと異国への引っ越し、そして家族との悲しい別れが同時にはこばれるのは、何とも複雑な気分。気持ちの整理は飛行機の中でやっと整ったのでした。
無事に彼の元へ着くと、もう3日後には結婚式。だというのに、わたしは何も把握していない。
「市役所でサイン、すればいいだけなんだよね?」彼が少しはフォーマルに、というから、「一応花嫁らしくマキシ丈ドレスやヘッドドレスも白で統一してみたし。」とそんな程度。一方彼は、2日前に彼の友人共々集うレストランを探すさま。「折角宣誓式に来てくれた友人を、そのまま帰すわけにはいかないから」とのこと。「えっ。今から探すの?」と驚く間もなく、フランス人の彼の一夜漬け的行動にはもはや慣れつつあった。日本だったら半年前から式場やレストランを探し、高額な結婚資金を投入するところを・・・。さらに、やっと近所のレストランが見つかったと思ったら、今度は招待する友人の出欠を、ひとりひとりに電話して確認するさま。
慣れない仕事から遅く帰って来て、こうしてレストラン探しをして、友人25人に電話をし終わると・・・。あまりに疲れすぎた彼は、さくらんぼうを食べながら細々と涙を流し始めた。私はそんな計画性のないながらも愛らしい彼の姿を一生忘れないだろう。「そりゃ、そんなことしていたら疲れるわ・・・。」と客観視しつつ。
待ちに待った結婚式当日、太陽の白い光が寝室のボレの隙間から差し込み目を覚ますと同時に、慌ただしい朝が始まった。彼はカフェを飲むと髪を切りに出かけ、彼のママンは彼のスーツにアイロンをかける。そしてすぐに、「私も美容院にいかなければ。約束していたあなたのローブにアイロンかけられなくてごめんね」と早々に出掛けてしまった。1人残された私は、セカセカと自分のローブにアイロンをかけ、雑誌社勤務で身につけたテクで自分のヘアをアレンジをする。なんだか、これって・・・、全然花嫁らしくない!と次第に複雑な気分になりながら。
が、準備を終えて少しむっとしながら化粧室から出ると、そこにはきれいなブーケを持った彼とお母さんの姿。ブーケを持つ予定もなかった私は感動で涙が溢れ、お母さんが美容院ではなく先に私の為にブーケの注文に行っていた事実を推し量ったのだった。フランスのお花屋さんは、即興でセンスのいいブーケをささっと作ってくれるということにも感動した。何も大げさにならなくても、ささやかに事が運ぶ、少し力の抜けたフランスというお国柄の一面を見た。
白い衣裳にふたり身を包み、彼の車でPauの市役所に着くと、既に彼の友人たちが前の公園で待ち構えていた。一度か二度会ったことのある顔ぶればかりだが、友人が自分の為にわざわざ来てくれた、という地元花嫁特有の喜びは残念ながら味わえなかった。フランスでの挙式も経験のひとつ、と思いつつも、内心では日本で自分の友人に祝福される結婚式を望んでいるのだった。市役所の階上にあるsalle de
marriageまで、私は彼のお父さんと、彼はお母さんと腕を組んで階段をのぼり一同行進。部屋に入ると、美しいバロックの大きな絵、純白で統一された椅子やテーブル、さりげない花のデコレと、日本でのホテル人前式のようなシチュエーションが既に用意されていた。市長が優しく私におめでとうと声をかけてくれ、お互いに誠実であり尊重するようにとの言葉を並べ、お互いに相手を夫、妻としたいかとの問いに、「Oui」という。この時気付いたのだが、彼のprénom(名前)を呼ぶ時、普段はひとつだが、正式な場ではなんと6つもある。なんでも、お兄さんの名前が全てつけられているそうだ。これはフランスでもめずらしいらしく、それを毎回市長は読み上げなければならず、会場にも笑いがどっとわくのだった。後に日本大使館に結婚届を出す際、私も6つの名前を毎回書くことに苦労した。
結婚書類に公然とサインをし、Livret de famille(家族手帳)をもらうと、20分後には外で彼の友人による写真撮影会。緑の美しい季節の中、茫洋と連なり霞むピレネー山脈、観光用の白馬車、と絶好のシチュエーションを前に、遠距離恋愛を重ねた後やっとの思いで夫婦となった実感をかみしめたのだった。
その後、彼が泣きながらオーガナイズしたレストランまで一同車で移動し、フォアグラ、ブッフ、ショコラとフランボワ―ズのデッセール・・・と、コース料理を完食。今思えば、この時あたりから私の食欲は増進の一途を辿り、妊娠8カ月目(日本では9カ月)にして14キロ増加という悲劇(?)につながったのでした。そのレストランは高額でなくても素敵な部屋を用意したオーベルジュにもなっていて、彼と私が出会った頃に訪れた思い出の場所でもあり、感動もひとしお。パーティーのお開きには、彼の友人たちがライスシャワーをしてくれました。「日本ではお米を投げるといけないって言われているけどライスシャワーは夫婦の今後の幸せを祈るもの。やってもいいか?」とわざわざ断りを入れてくれた律儀な友人たち。6時間のパーティーを終え、家に帰ってひと息つくと、浴びたライスがカチッ、カチッ、と音をたてて方々に転がり落ちる様が、結婚式を無事終えた余韻となって残るのだった。
column by 下野真緒/Shimono Mao
1977年東京生まれ
女性ファッション誌で編集に携わった後、2009年南仏&パリへ留学。
フリーランスエディターを続ける傍ら、2010年6月にフランス人と結婚
南仏ピレネー近郊に住む。現在出産を控え、新人ママへの道まっしぐら!