もう11月。街路樹のマロニエの葉はすっかり黄色く染まっています。カフェではテラス席にストーブが置かれ、道行く人の襟にはファーが撒かれ……。夏時間が終わったパリの街はすっかり冬の装いです。冬仕度を整えたら、両手をコートのポケットに突っ込んで、ギュッとあるものを握りしめる――。のど飴です。
冷たい風に逆らって街を歩くと、ただでさえ男っぽい私のアルトボイスの声は、気がつくとおじさんを通り越してお爺さんのようなしゃがれ声になってしまうのです。だから、冬のパリではボンボンが私の必需品。あちこちで可愛いケースに入ったボンボンを見つけると、ついつい手が伸びてしまいます。風の冷たさに思わず顔をしかめながらかじかむ手で一粒口に放り込む。口の中にじんわりと甘さが広がり、強張った頬もふと緩み出す。今日はさらに頬が緩みがち。実は、ポケットの中にはちょっと特別なボンボンが入っているのです。
それは今から300年も昔に作られたパリ最古の秘密の飴。1638年にパリ郊外モレの修道院でベネディクト会の修道女らが門外不出の製法で生み出したという逸品。大麦糖が主原料で、口に入れた瞬間は甘みが感じられないのに、そのままゆっくり舌の上で溶かしていくとどんどん甘さが強まっていく、ちょっと不思議な一粒です。
修道院は18世紀後半、フランス革命の余波で封鎖され、この不思議な味の秘密も闇に葬られてしまいます。しかし、秘伝のレシピはもはやこの世から消えてしまったと誰もが信じた時、混乱を生き延びた一人の修道女が製造の秘密とともにモレに帰り、ボンボンを復活させるのです。以後200年の間、度重なる存亡の危機に瀕しながらも不思議と幾度も蘇り、今、私のポケットの中にあるなんて。結構な強運に恵まれたこのボンボン、なんだか持っているだけで運気が上がるような気がしてきます。
ボンボンが入っているのは、掌に軽く載ってしまうくらい小さな丸い缶。その缶には修道院の紋章と修道女の可愛らしいイラストが描かれています。パッケージ は、なんと300年前の製造開始当時からほぼ変わっていないのだそう。モレ修道院は、華やかなりしルイ14世統治時代に全盛期を迎えましたが、栄華を極め
た当時の王侯貴族たちが好んで口にし、モレを訪れ手土産にと大量に買い込むほど人気の品だったのには、このキュートなパッケージも一役買っていたのかもし れません。あのマリー・アントワネットも、革命以前に手に入れたモレのボンボンをドレスの袂に隠し持っていたりして。
なんて想像をふくらませながらも、私は今日もまた一粒ぽいっと口に放り込み、冬の街を仕事に追われてせわしなく歩いています。悲しいかな、それはどう見て も可憐なモレ修道院のボンボンとは程遠い姿です。メルモちゃんの不思議な「ミラクルキャンディー」みたいに、一粒舐める度にうっとり女らしくなれる作用が あればいいのだけど。
モレのボンボンは素朴なオレンジ色をしていますが、私が舐めるべきは、違う色をした一粒のようです。赤いボンボンを食べると10歳若返り、青いボンボンを 食べると10歳年をとる。今の私に必要なのは赤なのか、青なのか……。「ミラクルキャンディー」は、いつまでたっても無くなりませんが、私のボンボンは買
い足さないとあっという間になくなります。声がしゃがれてしまう前に、もう一缶買って帰ろう。
それにしても、王族や上流社会の美女たちがこぞって買いあさっていたとは、当時の秘伝のレシピには、不思議な作用をもたらす“秘密のもうひと手間”があったのかもしれませんね。
L’ECHOPEE LOCALE
237,rue Saint-Martin 75003 Paris
01.42.78.51.73
column by Shirato Yumiko
1977年、東京生まれ。雑誌編集者
只今同学年の在仏シェフを描いたドキュメンタリー本も制作中
発表できる日はいつになることやら。実は甘いものよりも肉が好き
スイーツ好きとは違う観点で心がキュンとする世界中のシュクレを、パリを中心に紹介していきます