間もなく、salle de
travaux(分娩室)に移り、何よりも私が恐れていた無痛分娩の麻酔。これは、どうやら背骨の間にちくっと針を射し、液体が背骨の血管をツゥーと通る痛みに耐えるもの。想像しただけで背骨が痛い。誰もが「陣痛のほうが痛いから麻酔の痛みなんて感じない」と言って勇気づけてくれたけれど、実際はどうなの?あまりの恐さと陣痛の痛みで、私はオロオロと涙。彼が手をギュッと握ってくれて、「痛いのは一瞬。もしこれを打たなかったら、もっと痛い陣痛が長時間続くと思えば大丈夫」と励ましてくれている。海老のように背を曲げて注射が終わるのを待たねばならないのだが、ブサッと針を射した痛みで海老反りしてしまう妊婦も多いよう。それを防ぐ為に助産婦さんが前にきて肩をさすりながらおさえていてくれ、呼吸のタイミングなどを指示してくれる。今回の出産では私はどの助産婦さんに恵まれていたので、恐怖心を抑制することができた。しかし、その痛みときたら・・・。液体が落ちる瞬間などは、背骨に沿って針が動いているかのようだった。
麻酔が効いてくると、ハタと陣痛の痛みを何も感じなくなる。時たま何かが体内で収縮するのを感じ、陣痛のサーモグラフィーに目をやると、大きな陣痛の波が記録されている。先ほどの助産婦さんが、「便通をもよおしたなと思ったら、呼んで下さい。本当に便通なんじゃないかと皆心配になるのだけど、違うので安心して下さい。それがいきむ瞬間の合図になりますからね。」と教えてくれる。痛みを感じない私は、すっかりリラックスモード。隣にいる彼と、「赤ちゃんがおりてくるのが便通に似てるんだって、何かやだね」と談笑。サーモグラフィーをふたりで眺めて、「陣痛の波が立て続けに来ている!」なんてまるでひと事のように感動し、彼にその用紙のビデオ撮影依頼。また、立ち会い出産について結論が出ていなかった私に、彼がもう一度立ち会って欲しいか出て行って欲しいかと尋ねる。意識のしっかりしていた私は恥じらう余裕があり、「集中できそうにないから立ち会わなくてもいい」と言う。好奇心旺盛な彼は、少し肩をおとしていた。
いよいよ助産婦さんが言っていた「便通」を強く感じる瞬間が訪れ、ああ、このことだったのか、と悟る。麻酔から2時間半後、いよいよ「いきむ」という時がきたようだ。となると、周囲は慌ただしい。勇ましい面持ちの美人の女医さんと先ほどの「強い味方」助産婦さんが器具などを携えて分娩室に登場。「では、旦那さんは外で待っていて下さい」と彼はあっさり退席を促され、大分悲しそうに外に出る。その後、分娩がスタート。女医さんの「まだまだ、もっと!」「もっと強く!」というお祭りのような連呼を目印に、後はなすがまま。何回かいきむと、ほどなく赤ちゃんが出て来たらしい。今頭が出た、肩が出た、あと本当に少し、と教えてくれるのだけれど、無痛分娩で麻痺しているせいなのか、皮膚が割けるかのような壮絶な痛みはあるものの、さっぱり赤ちゃんの肌の感触というものがない。これ以上続いたら本当に下半身が割ける!と思った頃、「もういいですよ。見て下さい」と言われて恐る恐る目を開ける。そこには、腰のあたりで小さな手足をゆっくりゆっくり動かす赤ちゃんがいた。あまりの感動に、最初に大きな声で泣いたのは赤ちゃんではなく私のほうだった。こんなに小さいのに頭、肩、両手足があって息もあるものが、お腹の中に何カ月もいたなんて、と思うと、命の神秘とその強さに、感動で涙がとまらなかった。
それから5日程、赤ちゃんと共に入院生活を送るのだが、フランスの病院では、産後なのにゆっくり寝ている時間がない。8時にまず朝食を配る人がやって来て、30分置きに体温を計る人、血圧を計る人、赤ちゃんの体重を量る人、母親の体調を診断する人、小児科医、掃除の人がやってくる。夜中に赤ちゃんに何回か起こされて寝不足なうえ、赤ちゃんが静まり返っている午前中はゆっくり寝かせてもらえない。なので慢性の寝不足。1人か2人に統一してくれればいいのに、と何度思ったことか。あまりのんびり休めた気がせず、家に帰って来た時は少しホッとするのだった。
この入院期間中、パパになった彼の仕事は、子供部屋をすっきりさせるべく、買ったばかりのタンスを組み立てることだった。2時間で終わると豪語していたが、結局3日もかかっていびつな形に完成した。こうして彼の3日間のパターナル・コンジェ(父親休暇)は、家族が増えた幸せにのんびり浸るどころか、タンスに振り回されて終わった。
病院から久しぶりに家に帰ると、どこか不完全な新しいタンスとこの腕には赤ちゃんのきみ。空白の時間に、まっすぐ歩いていればいいはずだった道でいつの間にかぐいっと急カーブを曲がったような、人生に突如変化が訪れたのを感じる。それがもたらしたものは、ずっしりと重たい、確かな責任であり、どんな時も私を奮い立たせるであろう強い動機であり、真っ先に守るべきものがあるという本能でもあった。それに、フランスという異国の地で、たったひとり血のつながった家族ができるという喜びは、ひとしおのものだった。
いろいろな変化をくれたきみが産まれた日。
異国の地の夜空はうっすらと明け広がり、光が雲にからみつき。秋の朝焼けがとても美しかった。
そこに、いよいよ新しい人生が始まる様子をしっかりとこの目で見て、覚悟をした。それは、新婚の暢気なカップルが、きみと共に家族になることを学んでゆく始まりでもあったと思う。
column
by 下野真緒/Shimono Mao
1977年東京生まれ
女性ファッション誌で編集に携わった後、2009年南仏&パリへ留学
フリーランスエディターを続ける傍ら、2010年6月にフランス人と結婚
南仏ピレネー近郊に住む。女の子出産。新人ママへの道まっしぐら!