「冬来りなば、春遠からじ」。朝8時だというのに、まだあたりは薄暗い1月のパリ。きっと訪れる春の光を待ちながら、ホットミルクでも飲もうかな。牛乳は焦げ付きやすいから、弱火でじっくりと時間をかけて温めて……。でも、あまりのんびりしていると、こんな出来事が起こることもあるのです――。
それは今まさに夏の盛りを迎えようとしている、アルゼンチンでのお話です。1829年6月のある日、ブエノスアイレス郊外のカニユエラスという小さな町で、軍人2人が大切な会議をしていました。アルゼンチンでは今も昔も、南米原産の茶葉から作られるマテというお茶が飲まれていますが、この2人も長い話し合いに疲れたのでしょう、お手伝いさんにマテを頼みました。
慌てたのはお手伝いさんです。マテに合わせるホットミルクを、うっかり煮詰め過ぎてしまっていたから。お鍋の中には粘度を帯びた褐色のミルクがべっとり。これではとてもマテに入れることはできません。でも、キッチンにはなんだかとっても美味しそうな香りが立ち込めています。匂いに誘われた軍人さんが思い切ってそれを舐めてみたところ、なんとも甘くて美味しいジャムではありませんか。そう、これがミルクジャム、スペイン語で「ドルセ・デ・レチェ(Dolce de leche)」
誕生の瞬間でした!
こうして生まれたドルセ・デ・レチェは、今ではアルゼンチンの人々の国民的シュクレとして不動の地位を築いています。さすがパンパの国、乳製品には事欠かない様子。町を歩けば、ドルセ・デ・レチェやバターたっぷりのビスケットでドルセ・デ・レチェを挟み込んだお菓子「アルファフォーレ」があちこちで売られています。新聞スタンドや売店、カフェのメニューはもちろん、ちょっと高級なレストランのデザートまで。ブエノスアイレスの町では、どこを見てもドルセ・デ・レチェが登場します。
ところで、このドルセ・デ・レチェ、実はとてつもなく甘いのです。原料はあのお手伝いさんがうっかり作ってしまった当時のまま、砂糖を加えたミルクのみ。それもどうやらかなりたっぷりの砂糖が加えられているようで、相当な覚悟が必要なのです。そこで、もし甘いものが苦手なら、アルベールパレスホテルでいただくことをお勧めします。こちらのダイニングで食後の小菓子として出されるアルファフォーレは、甘さ控えめで上品な味に仕上げられているからです。
甘さに疲れた舌を気遣いながらそっと口に含むと、やさしくミルクがとろけ出します。ふと隣を見ると、この国では男性も根っからの甘党なのか、中年の男性がアルファフォーレを次々と口にしています。ずいぶんと分厚く古ぼけた本を片手に。その本のタイトルは『ファクンド』。
アルゼンチン人の祖先の多くは、ヨーロッパからの移民たち。先祖代々の土地を離れて、たったひとりこの地で新しい人生を始めようとした人々は、ヨーロッパの自由主義と土着のガウチョ文化との狭間で揺れ動いてきました。もしかしたらドルセ・デ・レチェは、激しく変化する時代の波にもまれる人々の、活力源であったのかもしれません。そして目の覚めるようなとびっきり甘いドルセ・デ・レチェを糧に、この地に理想郷を作ろうと数知れぬ失敗と成功を繰り返した。ずっしりと重くなるほどに粘度を増したジャムには、そんな歴史に刻まれた人々の思いも一緒に煮詰められている気がしてなりません。
ドルセ・デ・レチェはマテとともに、アルゼンチンとその周辺諸国を代表する歴史的な遺産として、ユネスコ世界文化遺産に登録申請中なのだとか。まだ何も決まってないと聞くけれど、男性の手に握られた小さなお菓子と無骨な本を思い出すと、そんなことはどうでもよく思えてきました。
真冬のパリを抜け出して、真夏を迎えた南米のパリへ。つい先日の旅のことを思い出しながら、ホットミルクをひとすすり。窓の外に少し光が射してきました。でも、長い冬はまだ少し続きそう。私はもう少しミルクを煮詰めてみることにします。
Alvear Palace Hotel
Avda. Alvear 1891, Buenos Aires-Argentina
54.11.48.08.21.00
column by Shirato Yumiko
1977年、東京生まれ。雑誌編集者
只今同学年の在仏シェフを描いたドキュメンタリー本も制作中
発表できる日はいつになることやら。実は甘いものよりも肉が好き
スイーツ好きとは違う観点で心がキュンとする世界中のシュクレを、パリを中心に紹介していきます