息子は3才になってから、急激にいろんなことを理解し始めている。自分の周りに沢山の「物」があること。言葉で言わないと伝わらないことが沢山あること。守らないとならない沢山のルールがあること。美味しいものはなかなか食べれないこと。人と付き合うことは大変なこと。キレイに絵を描くことの難しさ。毎日を楽しく過ごすことの大切さ等々。息子は3才にして「あー、今日はすごい楽しかったなー」なんていう感想を漏らすものだから、親も評価されてるようでハラハラドキドキだが、だからと言って、この言葉聞きたさに親が毎日毎日、楽しいイベントを用意してあげるかというと、そんなのムリに決まっている。必然的に息子はこの言葉を言えるように自分で工夫をして遊ぶようになった。遊びは子供の「仕事」なのだ。
息子は2歳の時に、ジグソーパズルにハマり、10ピースくらいから始まって、瞬く間に100ピースのジグソーパズルをやるようになった。毎晩頭からホカホカ湯気が出るほど熱中し、100ピースが10分足らずでできるようになると、ある日唐突に全く見向きもしなくなった。これは他のオモチャにも言える。毎日遊ぶもの、遊ばなくなるものの共通項は「目的が明確でそれにしか使えないオモチャ」かどうかだ。つまりゴールが定められたオモチャは、必然的に飽きるのだ。これを父が理解したのは、息子の遊びを通してである。ゴールを達成することが目的になると、遊びから逸脱して「これどうやったら良いの?」という思考を生み出し、自分で考えなくなる傾向が強くなる。だから「手作り」と「創意工夫」を大切にしようと決めた。
創意工夫を促すために、家中のものは全て(一部危険なものや大切なものは除き)玩具にして良いというルールと、遊びは常にスクラップ・アンド・ビルドとすべきというルールも作った。この結果、電気仕掛けの玩具などは全く買わなくなったが、色んな遊びが誕生した。「ダンボール・ギター」は、ペコペコになろうが、ヘニャヘニャになろうが、常に息子の音楽の友である。息子が赤ん坊だった頃に使っていたベッドマットの下に敷いていた簀の子(スノコ)は驚くべき活躍をしている。ある時は工事や消防活動のハシゴに、またある時には息子の愛車の車庫に、そして最近では家中のものを総動員して、スノコの上にくみ上げていくお城?
など、家中所狭しと、あらゆる物を遊びの道具にする発想が出てきた。父の物は良く紛失するが、とても喜ばしいことだと思っているw
何かを作り上げると一番壊したがらないのは大人である。せっかく作ったのに。こんなに上手にできたのに。これらは全て大人の言葉だ。子供は、組み立てて、壊しての繰り返しから沢山のことを学んでいく。もっと直接的な表現をすれば、散らかして、片付けての繰り返しから色んなことを学んでいくのだ。あぁ、そろそろ息子がお目覚めだ。また家中が玩具の国になる前に、大切な物を片付けておかないと・・・:)
Column by LIGHTWOOD/ライトウッド
IT 業界の会社を経営しつつ、現在3才になったばかりの息子の父で
どんな事でも創造する楽しさを教えたいと奮闘中
なるべくデジタル玩具から遠ざけたいと考える父と
父の寝てる間にiPhoneを使いこなすデジタル・ネイティブな3才の息子との闘いが日々続いている