震災で尊い命を落とされた方々のご冥福を、心からお祈りします。
桜の開花に向けて寒さが一進一退するこの季節の日本。
電気や燃料が今にもつきると報道される被災地の夜は、今日もマイナス気温。厳しい寒さを知らせる容赦ない天気予報に、余計に胸が痛くなる。そして、放射能の脅威、昼夜絶えず続く余震、物資不足、停電。命をかけて戦っている人がいて、油断の許されない緊迫した状況が続く日本。私の生まれ育った東京でも、大混乱がきてしまう前に皆どうにかふんばって、ギリギリの状態で普段通りの生活を心がけている様子が伝わってくる。スカイプやメール越しの家族や友人とも、いつこれが最後の連絡になってしまうかと思うことだってあり、涙せずにはいられない時もある。
物資の調達は日に日に厳しくなっているようで、友人からのメールがそれを物語る。「買い占めによって1歳の赤ちゃんの明日のオムツに困っている」。「節電で家はほぼ真っ暗。節約ご飯のためのメニューで、料理の腕があがりそう。風邪だけはひけないから睡眠はとらないと」。危うい局面と真っ向から向き合っているのに、皆力強く、前向きでたくましい。
一方フランスでは、地震後2日目には福島第一原発から200キロメートル離れよ、と在日フランス人に勧告。知人のフランス人は早々に家族と共に九州へ飛んだという。ご存知のようにフランスでは、日本人の私にとっては不安を呷るだけ呷るような放射能に関する危機に満ちたニュースを連発している。放射能の危険レベルも早々に6まで繰り上げられた。聞いていると不安ばかりがつのるフランスの情報と、冷静に国民を不安に陥れまいとする、慎重な日本の情報。その温度差の中で、私は日々右往左往。深夜3時になってもニュースから目が離せず、ソファで呆然とし、疲れ果てていた。
そんな時ふと、年始に帰国した時のことが思い出された。二週間の短い日本滞在が終わり、家族みんなでテーブルを囲んでご飯を食べていた時。フランス人の彼が、父に戦争の質問をし始めた。すると、当時の様子を伝えたかったのか、母がおもむろに祖父母の仏壇から古びた数枚の紙切れを取り出し、彼に見せている。それは、私も一度も目にしたことがなかった、第二次世界大戦下で祖父母が使っていたという配給切符。そこには、私とすれ違いでこの世を去った祖父の名前がかかれており、疎開先での「醤油購入券」、「衣料配給券」、お金を紙切れに変えた「貯蓄券」であった。その他にも目についたのが、少子化のための避妊薬のキャッチコピー。
あの戦時下では、調味料であるお醤油やきっと下着でさえも、全ての物資はコントロールされ、皆が物や食糧を大事にしていた。疎開を経験した叔父からは、ご飯を一粒でも残すと怒られたこともあった。そんな厳しい時代を慎ましやかに健気に生き抜き、やがては経済大国へと駆け上がるまで必死で働いて来た私たちの曾祖父や父母の世代。その遺伝子が今、少なからずどの日本人にも息づいているのは、誇らしく、今この状況においては力強いことのような気がしている。そして、今回の災難を目の前に差し出され、先頭をきって乗り切るべきなのは、私たちの世代の番なのかもしれないと思うのだ。
そう思うと、前向きに物事を乗り越えていくしかない気がしてくる。そのことに釈然と気付かせてくれたあの配給切符。あれは、亡き祖父からのメッセージだったのかもしれないとさえ思う。今、私たち日本人は試されている。試練と呼ぶには軽過ぎるかもしれないけれど、あんな悲惨な大戦を経ても、ここまで日本人は秩序を持ってパワーアップしてきた。
だから絶対に、大丈夫だ。
最後まで投げ出さず、あきらめず、自分たちにできることをしていれば、必ず道は開けてくる。
フランス人は、日本人を「シントイスト」と呼んでいる。シント=神道。簡単に言えば、自然や神を崇拝し、神社で祈る人たちのこと。私たち自身はそれが日常から根付いた当たり前のことだと思っているけれど、彼らから見ると、一種の宗教のような神秘的な習性に映るようだ。そんな祈るような思いで、何かに敬意を払う。それが日本人の美徳の本質のような気がしている。
大戦後の日本をここまで豊かに強くしてくれた祖父母の世代、それが途切れぬようにきちんとつないだ父母の世代。彼らに敬意を払い、新たな世代となる私たちが今度はどうすべきなのか、それを真剣に考えるように与えられた機会のようにも感じるのだ。
祖父の仏壇に大切にしまわれていた、今は無用となった紙切れ。そういえば、生まれた時から習慣づけられていた、写真でしか顔を見たことのない祖父のお墓参り。あそこにも、もうすぐ大輪の桜が美しく咲く。母がいつか言った。「桜は毎年必ず咲くから、人を安心させてくれるのかも知れないね」。日本を離れる時、心で願った。「また来年も桜の時期にかえって来れますように。美しい桜が見れますように・・。」決まった時期に、約束を守るかのようにきっちりと咲く、美しい日本の桜。その元にお花見で集まる笑顔の人たち。日本の一番美しいひとときは、もうすぐやってくる。例え震災で桜がなくなってしまったとしても、また皆で埋めて、その成長を見守る楽しみがある。
2011.3.23 母国に強く思いを馳せ、フランスにて
column
by 下野真緒/Shimono Mao
1977年東京生まれ
女性ファッション誌で編集に携わった後、2009年南仏&パリへ留学
フリーランスエディターを続ける傍ら、2010年6月にフランス人と結婚
南仏ピレネー近郊に住む。新人ママの道、激進中!