3月11日の悲劇から1か月が過ぎてしまった今でも余震や大きな揺れが続き、被災者の方々のみならず、不安な日々をお送りのことと思う。当初は、私の家族の安否を尋ねるためにフランス人の家族、友人・知人や仕事関係も含めて、フランスの知り合いのほとんどから連絡がきた。今でも日本の状況を尋ねたり、励ましのメールや電話がくる。10年以上前に仕事をした人からも大丈夫かと。日本の友人からは、日本のことを想い、援助や励ましてくれている人たちにお礼を伝えてほしいという連絡が多い。フランス人からは、日本人の勇気と、厳しい生活状況の中でパニックにならない道徳心を褒め称えるメッセージが。現在のトップ・ニュースは、コート・ジヴォワール、リビアに移っているけれども、毎日、日本のレポートは続いている。今日も瓦礫の山となった被災地で、ものを探す人たちの映像が流れ、初老の女性が泥まみれになったアルバムのページを繰っている姿が映されていた。以前にも、被災地で集めたたくさんのアルバムを歩道で展示して、持ち主に返したいというレポートもあった。アルバムは、もちろん過去のものだが、人生の思い出の詰まった大切なもの。子供の頃に、TVのニュースで、やはり天災で家を失った人が「アルバムだけは持ち出したかった」と言っていたのが、印象に残り、覚えている。
蚤の市やブロカントでは、写真だけ数枚ということが多いけれども、時々、古いアルバムが出ていることもある。昔の小さなサイズの紙焼きで、アルバムも小さめ、写真を差し込むフレームがついている。こちらでは、遺産相続や、家族に故人が出た場合、やんごとなき事情により、一切合財をまとめて引き取ってくれる専門業者がいる。通常、その業者は、ブロカント商人だったり、アンティーク界と通じていて、アルバムも流通するわけだ。随分前に、ブロカントでアルバム5冊を見つけた。中を見ると、家族のヴァカンスの写真だった。全然知らない人様の生活を覗き見するみたいだし、随分迷ったけれど、その生活様式や町々の風景に惹かれて購入してしまった。家に帰って見ると、1冊には1923年と明記されていて、子供の成長具合から見てもすべて1920年代のもののようだ。ダンディーな父に、エレガントな母、とても裕福な家庭のようで、ヨーロッパの都市や、イスタンブール、ブラジルなどに旅行している。
自動車、船、飛行機と交通手段も様々なうえ、各都市の1920年代の姿が写し出されている。そう、古い写真は、昔の生活様式を見せてくれる証人であり、歴史を物語り、時代考証にも用いられるわけである。笑顔の子供たちのセピア色やモノクロの写真を見ながら、いろいろな話を空想してみる。そこには、昔の時代をテーマにしたカラーの映画(大体において、使用しているオブジェや細かい部分で時代に合っていないものが多い)ではなく、実際に人々が生きた当時の現実がうかがい知れる。もしかしたら、何らかのきっかけで、いつの日か持ち主、もしくはその家族に返せるのではないかとも思い、大切に保管している。実際に、知人が蚤の市で購入した1枚の絵ハガキが、その友人の祖父が、戦地から家族に送ったものだった、ということもあったからだ。
—被災地の方々が、一日も早く、また笑顔の写真でいっぱいのアルバムが作れるよう、心からお祈りしています—
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by Takaki
ジャーナリスト、コーディネーター、クリエーター
何でもコーディネートしちゃいます
ブロカント品のバイイングもメイン仕事の一つ
BRUTUS誌にパリのコラム連載中