-002.紙と活版を愛する男達

ざらざら、つるつる。 手触りのある紙が大好きな私が、 どうしても会ってみたかった「作る手」がありました。

それはベルギーの首都、ブリュッセルに拠点を置く「ル・ティポグラフ(le typographe)」。 フランス語で「植字工」という名前の、たった2人の職人が働く小さな工房です。

目にした瞬間、雑貨アドレナリン全開、 思わず全色を買い占めてしまったル・ティポグラフの封筒。 南ドイツ、ミュンヘンの製紙会社「グムンド」製の表面に溝が型押しされた厚めの紙に、薄く色をのせてあり、 手に取る前から、この紙が持つ独特な触り心地が伝わってきました。

 

「僕は、紙が好きなんです」。

ちょっとはにかんだように下を向いて、セドリックは言います。 ル・ティポグラフの発起人であり、植字工として働く彼は、 美術大学に在学中、学内の工房で活版印刷に出会いました。
「活版は、紙によってへこみ方や色のつき方が全く違う。 色や素材、手触り、厚みといった紙の表情を引き出す技術として、興味を持ちました」。

工房で指導教官をしていたピエールが、定年退職することが決まった4年前、 活字や印刷機などを受け継ぎ、同級生のナタリーと一緒にル・ティポグラフを始めました。 2年前に、アールヌーヴォーの美術館「オルタ邸」があるアメリカン通りに引っ越し、ショップ兼工房を構えました。 ピエールも時々手伝いにやってきます。

 

背丈を超すほどの高さに積まれた紙の間をすり抜け、工房に入ると、 19世紀でに作られた、ハイデルベルグマシンという印刷機が2台並んでいました。

金属のテーブルの下にはぎっしり鉛の活字が詰まった重たい引き出しがあり、 上には、制作途中らしい組版が置かれています。

セドリックが一番好きなのが、活字を組んでいく作業だそう。
「コンピューターで作るデザインに比べて、制限が多いのでよりクリエイティブになれる気がします。 限られた素材を使って、自分が作りたいイメージを実現させるための新しい答えを見つけていく。 中央揃えや右揃え、ちょっとした間隔を調整するのも、パソコンなら機能を選んでクリックするだけ。 でも活版では、細い隙間用の板を足したりしながら、読みやすいようにバランスをとっていきます」。 「活字がある部分よりも、印刷されない「間」を意識することが大事なんですよ」と、 カレンダー用の組版を例に、隙間の取り方を見せてくれました。

 

書体も大きさも限られていますが、あえて違うものに見立ててデザインする楽しさもあるそう。 例えば、通常はカッコ記号として使う、{ }をサイズ違いで順に並べたもの。 真ん中に折り目を付けた紙にプリントすると、葉脈か細い魚の骨を思わせる繊細な絵が生まれました。 チョコレートブラウンの薄い紙に、銀色でプリントするというセンスにもしびれます。

ストライプ状に薄い凹凸がついた紙に、太めの書体でメッセージを印刷したカード。 チェックの布で綴じたメモ帳は、表紙には、段ボールのような厚みのある紙を選び、方眼紙のような升目模様を押しています。 背表紙の布と表紙のデコボコざらざらした手触りが、開くたびに楽しい1冊。 ヨーロッパ中から集めた様々な紙を使って、工房で印刷して仕上げる商品は、どれもひとつひとつ微妙に表情が異なり、 触ったり、すかして見ながらお気に入りのものを探したくなります。 1枚1枚、異なる小さな昆虫がプリントされた白い便せんは、薄紙の二重封筒とのセット。 しかしなんで虫?

「ティポグラフ、という虫がいるんですよ。自分と似ているかなって……」。

デザイナーでもクリエイターでもなく、生涯一職人、アルチザンでありたい、というセドリック。 自分を小さな虫に例える彼の姿に、その誠実な仕事ぶりと、紙と活版への愛情を感じたのでした。

 

info:www.typographe.org
rue Américaine 67, 1050 Bruxelles
11時30分~18時(月~土)

ベルリンでのル・ティポグラフ取り扱い店は「R.S.V.P.」
rsvp-berlin.de

Column by 河内秀子/Hideko Kawachi
ベルリン在住のライター&コーディネーター
2000年から渡独。ベルリン美術大学在学中からライター活動を始める
好きなものはテレビ塔と蚤の市、活字
www.berlinbau.net