じゅんちゃんは、"Mon Oncle"、 僕の叔父さんです。
Jacques Tatiの映画に出て来る叔父さんより、断然若い、少しヒッピー入っていたじゅんちゃん。長女(僕の母)、次女、三女、じゅんちゃん という母方の家族の中で、戦後の厳しい時代に、祖父に代わって家計を切り盛りしていたような母には対象的に、大学まで進み、ゆったりと趣味的な人生を歩んでいた。3人のお姉ちゃんに囲まれて、ちやほやされていたんじゃないかな?と想像する。
山登りとか、スキーとかを嗜んでいたので、僕らが少し大きくなったら、春にはハイキングに連れて行ってくれた。その後、結婚することになる、彼女の可愛らしい晴美さんも一緒に山に登った。何だかドキドキした。”グリーングリーン♪ 丘のむこうのなんちゃらかんちゃら~♪” じゅんちゃんの周りには楽しいことが多かった。(※Green Greenは1960年代アメリカンヒッピーの歌)
大学では写真を先攻していたので、山でも写真を撮っていた、、、けど実際の写真は見たことないな。じゅんちゃんは、大学を卒業してからすぐに、写真の現像やフィルムの引き延ばしの技術を利用して、Tシャツなどのシルクスクリーンの会社を始めた。丁度、高校生だった僕に、「版下マンやらへんか?」と誘ってきた。シルクスクリーンの印刷原稿を作る仕事だった。当時は、ロットリングペンと、雲形定規などを使って、手作業でデザイン原稿を仕上げた。生まれて初めて自分の趣味の仕事でもらえるお給料が嬉しくて、とても張り切った。時給制ではなく、歩合制なのも気に入って、版下を描くときには、タイムラップを計った。ので、仕事が速かった。
サーフィンブランドのカラフルなデザインを主にやっていたが、ばったもん(コピー商品)もよくやった。某フランスのメーカーのコレクションのビデオテープから、そっくりそのままデザインを版下に仕上げた事もあった。おそらく、そのブランドより早く市場に出せたはず。。。もう時効だから許してください。
じゅんちゃんは僕たちに楽しい想い出を残してくれて、若いうちに亡くなってしまった。母や彼が育った祖母の大きな家。その眺めのいい二階には、じゅんちゃんの部屋だった部屋があり、楽しい時代を象徴するようにスキーの板や、テ ニスのラケットが、ひっそりとそのままの形で博物館の一角のように残してあった。
僕は、そんな趣味の部屋が好きで、祖母の家を訪れる度に、母たちの目を盗んで、一人でよく見学に行った。そしてある夏の日、ベットの下に誰がこっそり展示したのだろうか、あれを発見してしまったんだ。そうあれだ、エロ本だ!今でもよく図柄を覚えている。Playboyで、写真ではなく、リアルなイラストだったんだなこれが~。
その後、僕は祖母の家に来る度に青春博物館に通うことになる。
自分のデザインの仕事で、リアルなイラスト表現が今でも苦手なのは、この幼いころのエロ本体験が原因かも。
父の教訓③ やばいものは奥の奥に慎重に隠せ
column by 畠井武雄/Hatai Takeo
アートディレクター、アニメーションディレクター、ウェブデザイナー、いろんな顔を持つ虹色クリエーター。(特にピンク)
2000年渡仏。2003年 コンピュータグラフィクススタジオ Le pivot (ルピヴォ)設立
キャラクターアニメーション、モーションデザインなどに特化し、独自の愛らしい世界観を確立している
2011年、新部門である、p-2-i (ピーツーアイ)をスタート
Le pivot の持つ映像技術と、ウェブ、モバイルテクノロジーの融合を可能にし、
温かみのあるインタラクトコミュニケーションを多岐に渡り展開する
http://lepivot.com
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