日本観測史上最大のマグニチュード9.0の大地震が起こった2011年3月11日、東日本大震災を知ったのは住んでいるベルリンではなくパリでした。日本から新婚旅行でフランスに来ている親友の結婚をパリで祝うため日が昇っていない真っ暗闇の早朝、時差もあってまだ何もしらなかった私は、ベルリン のテーゲル空港からシャルル・ド・ゴール空港に向って飛び立ちました。
定刻通り到着し、パリに着いたのがまだ早かったためオデオンにあるホテルで荷物だけ預かってもらい、チェック・インの時間まで散歩でもしようと思い、リュクサンブール公園へ向いました。その途中、携帯に「大きな地震が日本国内のどこかで起こったようだから急いで実家に連絡とってみて!」というテキスト・ メッセージがドイツにいる彼から入ったのです。
東京生活が長かった私は、地震は度々あることだし大きな地震とはどの位なのだろう?と、明確に書かれてない内容に一瞬疑問に思ったのですが、急いでホテルに戻り母に電話をかけながら、TVをつけたのです。ニュース番組にチャンネルをあわせると...自分の目を疑いました。
ドス黒い海水が、ものすごいスピードで車や家屋やら何から何までのみ込んでいる津波の映像だったのです。広島の実家へはすぐ電話が繋がったものの、 私は大津波映像に唖然としてしまい、思うように会話がはじめられずにいました。電話に出た母から「大切な家族を失った人が大勢いると思うだけで心が張りさけそう。食事も喉に通らないけど、当事者が本当に一番ツライだろうね。悲しいよ。」という言葉でした。
私はその後、外に出る事ができなくなってしまい、ホテルの部屋に引きこもってしまいました。翌日、ホテルのロビーに置かれていた新聞の一面は津波後の写 真。新聞をめくりながら、パリ滞在中に私にできる事は何だろう? と考えたのです。とりあえず、無力だけど祈る事はできる! 何もせずに引きこもっていては絶 対によくない! と思い、サクレ・クール寺院と丁度、滞在中にノートルダム寺院で行われた犠牲者追悼ミサに参加したのでした。
ベルリンに戻ってからは、寄付やチャリティ・イベントに参加したりしましたが、海外在住日本人ができることは何だろう? というのは今でも私の大きな課題です。あの日から1年を迎え、今年は震災後の復興と原発のあり方を考え、良質な情報を取りつつ何かとアクションを起こして行きたいと思っています。
Column by 藤原恵美 / Emi Fujihara
ベルリン在住、ヴィンテージ雑貨や食器を扱う
DILL objectsのオーナー&バイヤー
www.dill-objects.com
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