-001.お絵描きと呪文

 

ちいさなころのお絵描きは、
大好きなものをまねて、描いていた。
それを自分にとりいれたくて、おともだちに自慢したくて。
自分の世界をどんどんつくりながら、ただ無心に描いていた。

今のわたしのお絵描きは、
自分の想いをたしかめたくて、描いている、かな。
自分の世界をあらわしたくて、冒険しながら描いている。

たまにこどもといっしょにお絵描きをして遊ぶ。
わたしがなにかをちゅるちゅる描くと、こどもはよろこぶ。
わたしの手からうまれる線やかたちを、こどもは夢中になって追う。
わたしはつぎつぎとなにかを飛び出させる魔法使いの気分になる。
ペンがわたしの杖。紙のうえに、なんでもありの、世界ができる。

こどもはそれに色をぬる。
それをまねて描いたりする。
おもしろいのは、いくらわたしの線やかたちをまねて描いても
それはもう、その子だけの個性になっている。
その子の世界がかたちになってくる。
そしてその子はそれを知っている。

うまくまるくかけなかったり、はみだしちゃったりする。
紙がやぶれちゃったりぐちゃぐちゃになったりする。
色が出なくなったり、ほしい色がなかったりする。
自分が思ってたふうに描けなかったら、
こんなもんかと気にしない子もいれば、
ものすごく傷ついて泣き出す子もいる。

でもね、思い通りにならなくても、失敗なんて存在しないの。
機械じゃないんだから、完璧なんてつまらないの。
いっしょうけんめいやったなら、いいの。
自由にすべてをうけいれましょう。

こどもも、そんなところで「おりあう」ことを学ぶのか。
自分のことのように教えられる。
そして学んで、また忘れる。
でもってまた、学ぶ。
人間ておもしろい。

大好きな画家のひとりFrancesco Clemente がCharlie Roseとの対談で
「あなたにとって絵を描くこととは?」という質問に
「acceptance (受け容れること)」と答えていた。
わたしは彼と彼の作品をますます好きになった。

奇跡のピアニストと呼ばれるFujiko Hemmingも言っていた。
「まちがえたっていいのよ。機械じゃあるまいし」
リストを憑かれたように弾きながら。

わたしは 今、
「お絵描き」をするときも、
日々精進(ひびしょうじん)と心がけ、いそしむ日々も、
それを自分に言い聞かして「おとな」として生きてゆくのだ。

あ、日々精進(ひびしょうじん)の意味?
ちかくにいるおとなに聞いてみ。
きっとうーんとため息つきながら説明してくれるよ。

人を傷つけたり迷惑をかけたりはしたくないんだけれど、
思いがけずしてしまったらごめんなさいを伝える。
心からごめんなさいを伝える。
そして自分を許す。

「だいじょうぶ」と魔法の呪文を言う。

アメリカ大陸を鉄の鳥に乗って東から西へ渡る雲の上より
そんなことを書いてみた。

ユリより

column by 下條ユリ /  Yuri Shimojo
ボヘミアンな画家
丙午の春、東京都三鷹市生まれ
”売れっ子イラストレーター”時代の’96年にあっさり渡米
以来、ブルックリンとマウイの秘境という両極なジャングルで暮らしている
www.yurishimojo.com
波瀾に富んだ生い立ちの記『ちいさならくがき』(たまうさぎbooks)は知る人ぞ知るカルト本して復刊
おとなびたこどもたちへ捧げる『ちいさなわたしと今のわたし』連載スタートと同じくして
こどもじみたおとなたちへ捧げる『絵そらごと』(CLUBKING)の連載もスタート
震災後1年目のインタビュー『ニューヨークで感じたafter 311