Rudyという名の犬と暮らしています。
Rudy(ルーディー)とはRudeboyの愛称で、
Rudeboyとは「いかした不良」という意味で、’60年代~、ジャマイカからSkaやRocksteadyという音楽にのってイギリスにやってきたスタイルであり、センスです。
白黒two-toneのボストンテリアRudyは「変なこいぬ」から「いたずらっこ」へ、そして今では5歳の「おもしろくて頼れるヤツ」へとたくましく成長しました。
ちいさい身体で大きな犬たちとじゃれあうRudyを見る人たちは「Rudyは自分がちいさいって知ってるの!?」と驚きます。
わたしは「Rudyはsmall giantなの」と誇らしげに答えます。
でもね、実はRudy、はじめはそんなんじゃあなかったんですよ~。
では、当時わたしが描いていた『Rudy育児絵日記』とともに、涙なしには語れないRudyとわたしの奮闘記におつきあいくださいませ。
Rudyは、それはそれは臆病なこいぬでした。
ブルックリンの街の喧騒はもちろん、落ちてくる枯れ葉にさえおびえて外に出たがらない、一歩も外を歩きたがらない変なこいぬでした。
だけれどRudy、3~6時間おきに外へ出ないといけない。
雨が降ろうと槍が降ろうと、おうちでくつろいでいても。
なぜならこいぬのおしっこのしつけは生後1年以内が肝心。
家の中でおそそしないよう、時間通りに外に連れ出し教えてあげる、それは飼い主の役目なのです。(欧米と日本、やり方が少し違うようだけど)
Rudy、どうにも外を恐がり出たがらない歩きたがらない。10m歩くのに5分かかる!角を曲がるのに10分かかる!
ピコピコ音のする大好きなおもちゃでおびき寄せ安心させたり、数歩トポトポ歩いたらご褒美をあげたり…
「世界はちっとも恐くないんだよ。楽しいよ!」と声に出してなだめてみる。
それでもダメな場合は仕方ない、引きずって歩く…。
勘違いして「こいぬの虐待!」などとわたしに怒鳴るヒステリックなおばはんもいたけれど、泣きべそ顏のちいさなアジア人の女(ワタシ)とそれにひきずられる変なこいぬの奮闘を、たくさんの近所の人々が日々を見守り応援してくれるようになりました。
そ の頃のわたしたちが暮らしていたエリア、お世辞にも良いとは言えない。地下高騰が進んで変わりつつあるとはいえど、ゲットーはゲットー。下手すりゃ夜中、まだまだ銃声も聞こえるブルックリンの奥地。でも、そんな場所だからこそ人々は人情であふれていることもあるのです。
わたしたちの、ほんのすこ~しづつの変化に、一喜一憂してくれる人々。
Rudyが一歩一歩ちいさな足で歩き始め、おしっこもうんちもちゃんと出来るようになって、私のあとを追いかけて初めて一緒に走った時のことは今でも忘れられません。
Rudyはみなさんから大喝采をあびました。
わたしなんて、もう号泣。 (そのわたしにおどろくみなさん)
ちいさなRudyの大きな2、3歩は、なによりわたしが必要だった勇気をくれたのです。
実はその頃のわたし、Rudyを一緒に飼い始めたパートナーと別々に暮らすことになり、自信も失い絵も描けぬ自己喪失の末、なんとも精神衰弱な日々を送っていたのです。
Rudyを外に連れ出す「義務」がなければ、わたしこそ一歩も外へ出なかったような状態でした。
起きる気力もない日々、外の世界におびえていたのは誰よりもこのわたしだったのです。
「なんでわたしがこんな大変なこいぬの世話をしなきゃいけないの‼ 自由を返して!」
この世の終わりの悲劇の主人公は目の前にある光さえ見失っていました。
しかし、ほんとうにおもしろいものです。
自分が変われば見方が変わる。すべてが変わる。
Rudyの変化はわたしの変化でもありました。
体当たりで必死に恐怖と向き合い成長してゆくRudyから底抜けの根性を見せられ「こいつが頑張ってるんだからわたしだって」と感化され、臆病なこいぬの革命は、臆病なわたしの革命になりました。
「あんなに恐かった風に舞う枯れ葉」が「クルクル回るおもしろいオモチャ」に、
「あんなに嫌だったしつけの外出」が「大好きな楽しみのお散歩」になったRudy。
そのおかげで「わたしの自由を奪った世話のかかるこいぬ」は「わたしに新しい翼を与えてくれた天使のこいぬ」に。
「この世の終わり」は「すばらしい世界のはじまり」に。
それ以降、Rudyとわたしの助け合いじゃれ合う、持ちつ持たれつの関係は続いています。
朝、いつもの公園にわたしを連れ出してくれるのはRudyです。
マンハッタンを一望できるブルックリンの川沿いの公園で、いつもの犬たちとその飼い主たちとの平和な朝のひととき。
いつものカフェはRudyがボールをくわえて登場するのを楽しみにしてくれて、いつもの角でたむろするプエルトリコ人のおっちゃんたちはRudyとじゃれ合いつつ井戸端会議。
みんなのアイドルRudyを通じて、わたしもいろいろな人たちと友だちになれます。
今ではRudyが臆病なこいぬだったなんて誰も信じません。
どんな犬より早く走り、波立つ海でも流れの早い川にでも得意の犬掻きで飛び込んぢゃいます。
ボールと追っかけっこなんて教えてもないのにボールをくわえて自慢気に持って返ってきます。
ほっといたら一生やってます。
こっちが気をつけて、水を飲ませたりして休ませないと「やりすぎ」で死んじゃうらしいのです。
や、やりすぎ、って…。
この尋常でない集中力、たまにおそろしくなります。
超インテンスなこのエネルギー、Rudyで自家発電とかできたらいいのに。
エコ極まりなく節電不要、ホショウシマス。
「動物と暮らすという事は自然を知るということ」と誰かが言っていました。
わたしにとっての一番身近な自然は、おもしろい顔をした、ボール命でマンガみたいな性格の、売られたケンカは売り返し、勝負に出たら意地でも負けない生粋のブルックリンRudeboy。
そのクセ感受性がとても豊かで繊細で、些細な人の感情を誰よりも敏感に察知するやさしいヒーラー犬なのです。
「飼い主とその動物は鏡である」という興味深いテーマの本があります。
助け合い、影響し合う人間と動物。
わたしのアニマル・コミュニケーションの先生が書いた本で、Rudyとわたしのエピソードも書かれています。(興味のある方、英語のみですが是非どうぞ。"My Animal, My Self" by Marta Williams http://martawilliams.com/Mams.htm )
アニマル・コミュニケーションとは、第六感(テレパシー)で自然と対話をする、現代人が忘れようとしている古代からの叡智です。
今の科学では証明しきれないものの、驚くべき実証例は星の数ほどあります。
そんなわけで、日々いろいろな人生の教訓を教えてくれて、一日中その容姿と性格でわたしを大爆笑させてくれる犬とわたしの物語。
これからたまにお話させていただきます。
よろしくね。
~つづく
*Rudyの味わいある写真は、Yuri ShimojoのInstagramかTwitterにおこしやす*
column by 下條ユリ / Yuri Shimojo
画家。丙午の春、東京三鷹市生まれ
約20年の海外生活を経て京都のお山にアトリエを移し、たまにブルックリン、マウイ島のジャングルに里帰りしつつ創作
ひさしぶりの日本の生活には相変わらず慣れていないが、ボストンテリアの愛犬RUDYとのんきな暮らしを楽しんでいる
www.yurishimojo.com
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