-015.パリ建築散歩 ラ・ロッシュ邸

今回のスケッチはパリ編の第2弾、ル・コルビジェが設計し、1925年に竣工したラ・ロッシュ邸について描きます。

 

この建築は、実兄である音楽家・アルベール・ジャンヌレの家族と独身の銀行家で絵画の収集家でもあったラ・ロッシュ氏のために設計されたものです。公開されているのは、ラ・ロッシュ邸の方のみ。

 

創られたのは90年近く前のパリ。

当時、組積造(石積み・レンガ積み)による伝統的建築が一般的ななか、彼は鉄筋コンクリート構造による床と柱、階段を主要要素とする自由な建築(ドミノ構造)を推進します。今のカーテンウォールと言われる高層ビルなどの建築の元祖となる考え方とも言えます。このラ・ロッシュ邸は、その流れでル・コルビジェが提唱した「新しい建築の5つの要点」(ピロティ、屋上庭園、水平連続窓、自由な平面、自由な立面)が全て垣間みれる建築。90年近く前の建築とは思えないほど、今的なデザインで驚きます。

パリのジャスマン(Jasmin)駅から歩いて10分ほど、閑静な住宅街のなかにラ・ロッシュ邸はあります。併設するジャンヌレ邸は、ル・コルビジェ財団のオフィスとして使われています。緑の多いアンリ・アイネ通りからドクター・ブランシュ通りに入り、通りに面してル・コルビジェ財団の看板のある門扉が見えてきます。

 

ワクワクしながら門扉をくぐると豊かな緑に囲まれた小径が現れ、その先に真っ白なラ・ロッシュ邸が佇んでいました。ピロティ構造のため、向こう側に目線が通り、狭い敷地が少し広く感じます。

 

▲エントランスを入ると、自然光が差し込む、大きな吹抜け空間が広がります。

▲そこから階段で2階に上がった奥に、光取りの高窓がある開放的なギャラリー空間が広がります。差し込む光の線もドラマチックです。壁に囲まれているにも関わらず、非常に明るく健全な空気が漂っています。白とベージュ、淡いブルーのアースカラーでトーンを揃えた空間。ここにも水平連続窓が。

 

▲長屋の部分は、水平連続窓になってます。

 

▲ル・コルビジェの建築のなかでも「白の時代」の真っ只中に設計された建築らしく、本当に真っ白な建物です。密集した住宅街にありながら、細い柱に支えられた、ラウンドした壁面を持つファサードは、優雅な存在感を見せています。

 

 

◀また、ここには存在感のある黒いテーブル、そして通称グラン・コンフォートと呼ばれる家具が置かれ、心地よく絵を見ながら談笑するラ・ロッシュ氏の姿が創造されます。奥には、アフリカンアートに影響され、コルビジェが製作した「トーテム」という彫刻オブジェが飾ってあります。

 

▲スロープをあがるとトップライトのある部屋をとおり、渡り廊下をわたるとダイニングに繋がっています。

▲ダイニングは、壁面に淡いオレンジのアースカラーが用いられ、南欧風な温かさが漂います。椅子はコルビジェお気に入りのトーネットのパイプ椅子。

▲そして、屋上階には、屋上庭園が広がります。

ここは残念ながら見学禁止のゾーンでした。


このラ・ロッシュ邸は、シャルロット・ペリアン(日本にも影響力を及ぼしたインテリアデザイナー)が1928年の改修時に内装デザインを手がけた、ル・コルビジェとの最初のプロジェクトでもある、とのこと。この後、彼女はクロムメッキや鉄パイプ等の当時の最新素材と加工技術を使いながらル・コルビジェとともに様々な近代的な家具を開発してゆきます。

 

シャルロット・ペリアンは、さらに、この後、ル・コルビジェ事務所を一旦去り、日本の建築家・坂倉準三を通じて日本に招聘されます。そこで、日本の民藝運動の推進者であった柳宗悦氏や河井寛次郎氏に共鳴し、日本の各地方に残る伝統的な意匠や技術を、その時の時代感覚で再生しようと推進しました。

そして、安易な西洋の模倣や装飾ではなく、本質的に日本人の感性を現代化することに影響力を及ぼしました、と言われています。

 

虚飾を排して、コンクリートや鉄パイプなど当時の新素材等の可能性を追求したル・コルビジェの建築とシャルロット・ペリアンのインテリア、その原点ともいえるのが、このラ・ロッシュ邸なのです。

 

改めて、これが1920年代に創られたとは思えないほど、現代的な佇まいに驚いたとともに、そこから、私たちは、本質的にさほど進化できているのか?という疑問も湧いてきたのでした。

column by 梶谷拓生/Takusei
 KAJITANI
エクスペリエンスデザインを仕事にしてます
技術やデザインやヒトを融合して新しい体験やサービスを創りだす仕事です

サッカーをこよなく愛し、今も地元チームのミッドフィールダーとして活動中
サッカー好きな長男、音楽好きの長女を持つパパでもあります