ほかのひとには見えないけど、
わたしには見えるもの
ぼくには見えるもの
あるでしょう?
「こどもだから」
「こどもじみているから」
「こどもの心を忘れていないから」
見えるもの
聞こえること
感じれること
ありますよね?
そういうの、
ぜったいに、大切に、してください。
自信をもって。
ひととちがっても、
みんなに変だって思われても、
頭おかしーって思われても、
それは「たからもの」ですから。
一回手放してしまったら
なかなか戻ってこない厄介なしくみ。
もし戻ってきたら、勇気を出して、
ほんとうのじぶんに「ただいま」して。
ふいに涙がでちゃったり、
いきなりおかしくなっちゃったり、
そういう時はそのまま素直に泣いてあげて。
楽しいのは最高なんだから笑ってあげて。
そんなのぜんぜん平気だから。
ふつーだから。
ちょっと怖くなっちゃったり、
ちょっと悲しくなっちゃったり、
ちょっとうれしくなっちゃったり、
ちょっとスネたくなっちゃったり、
もうそれ、ぜーんぶ、あたりまえだから。
おじいさんみたいにやさしい古いお蔵の中で、
5つのまんまるいぐるぐるした大きな絵の前で、
いろんな「おとな」がただじっと座って、
「こども」の自分に出会っているようです。
それは決して愉快なことだけではないのかもしない。
でも、たぶん、「おとな」になったぶん、
いろいろあってもがんばって生きてきたからこそ、また出会えるんです。
「だいじょうぶ」って声が聞こえてくるみたい。
「おとな」がちょっと勇気を出して、
「こども」の自分に出会うのです。
「おとな」ってけっこうつらいけど、
「おとな」はえらかったりもするんです。
だからそのぶんそんなときの「おとな」って、
泣きたいほど気が抜けて、味わい深いもんなんです。
うまく言えないけど。
下條ユリ個展 『メメント・モリ』
浅草で生き続ける蔵ギャラリーエフにてとうとう4月6日(今週日曜日)まで。
わたしは毎日在廊しています。
詳しくは http://www.chocolatmag.com/2014/03/10/042-memento-mori-in-tokyo/
column by 下條ユリ / Yuri Shimojo
画家。丙午の春、東京三鷹市生まれ
約20年の海外生活を経て京都のお山にアトリエを移し、たまにブルックリン、マウイ島のジャングルに里帰りしつつ創作
ひさしぶりの日本の生活には相変わらず慣れていないが、ボストンテリアの愛犬RUDYとのんきな暮らしを楽しんでいる
www.yurishimojo.com
波瀾に富んだ生い立ちの記『ちいさならくがき』(たまうさぎbooks)は知る人ぞ知るカルト本して復刊
おとなびたこどもたちへ捧げる『ちいさなわたしと今のわたし』連載スタートと同じくして
こどもじみたおとなたちへ捧げる『絵そらごと』の連載も好評!
震災後1年目のインタビュー『ニューヨークで感じたafter 311』
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